日高グループ 日高機械
田辺鉄工所
田鶴浜マシンウッド

日高グループの理念


昭和28年頃撮影

 昭和28年頃に撮影された1枚の写真があります。
 田辺鉄工所で製造した「万能機」を昭和天皇により、天覧に預かっている まさにその瞬間の写真です。この写真が撮影された当時の日本は、全土で戦後の復興の為、国歌に歌われている「さざれ石」のごとく国民が一丸となっていた時期でした。戦後の経済復興や、住宅事情を改善するために木材を加工する機械の需要も、まさに経済成長期を目の前に大きく膨らもうとしていた時期でした。

 この写真には、日高グループの理念が象徴されています。
 創業来、100年以上を経てきた歴史を振り返れば、我々は時代の流れの中で常に変化を遂げてきました。明治37年、創業当時の円筒研磨盤などの工作機械の製造から木材の加工機械への転換(変化)を実現して官庁、国鉄、学校、自衛隊等の公の機関にて使われる木工機械においては指定機械としての認定を受けました。工場も、東京都内にあった3つの工場が戦災にあったことから、金沢を本社工場として製造体制を整えました。まさにその大きな変化において、その性能を保証され、国内屈指のメーカーになった我々への期待が大きかったことを象徴している写真であると言えます。

 ダーウィンの進化論に「強く、大きいものが生き残ったわけではない。変化に対応できたものだけが生き残ってきた。」という言葉があります。
 我々は、日本中のモノ作りに必要とされるように、常に変化し造り続ける事を『理念』に掲げ木はもとより工作機械や、産業機械、制御ソフト、システムを進化させ続ける所存です。